どうも国府田です

イラストと漫画の制作、郷土の歴史と文化、そして日常。

どうも国府田です

【北海道・北東北の縄文遺跡群】祝・世界遺産登録決定、地元出身者として少し気になること。

 

祝・世界遺産登録決定。

令和3年7月27日、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録が決まりました。まずは関係者各位と対象地域の方々、ご登録おめでとうございます。

 

実は以前にも登録申請についての話題を書いた事があります。僭越ながら、最初から全てが順調ではなかった事は、知る人ぞ知るお話しでした。

色々あっての登録決定になったわけですが、これまでの流れとして、記事のリンクを貼っておきます。

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kazuyacoda.hatenablog.com

 

このブログやSNSで何度も話してるような気がしますが、僕が子供の頃遊び場にしていた青森市三内の里山の一部(三内丸山遺跡)が世界遺産になりました。

 

ほんとにド田舎の何にも無い所でしたが、ちょっと掘ればいくらでも土器片が出てくる場所ではありました。でもまさか、アレが世界遺産になるとまでは思っていませんでした。

なんとも不思議な感じがします。

 

実家からチャリンコで行ける距離なんですが、隣接する総合運動公園(というかほぼ遺跡の上に建てちゃった?)には飽きるほど行きましたし、いつでも縄文土器が取れたので、特別「貴重な場所」という感覚はありませんでした。

というか、今でもピンと来ない。

 

しかしこうなれば、いよいよ新青森駅がある石江地区から三内地区に向かって、訪れる人が増えてくるかもしれません。そして益々三内丸山遺跡が「縄文遺跡のアイコン」として有名になっていくでしょうね。

 

ただちょっと、今回はオリンピックの影に隠れてしまった感じも否めませんね。

 

数年前の三内丸山遺跡の様子。

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上の写真は、帰省した時自分で撮ってきた、三内丸山遺跡の復元した建物です。

僕の過去絵の資料でもあります。

実はものが古くて9年前の写真なんですが、当時はまだガラケーで、これは旧式の携帯カメラで撮った写メです。(右下に僕の影が…)

他にもまだ少しあるんですが、下手すぎてお見せ出来る物ではないので、一部抜粋にしました。

 

↓もはや説明不要?象徴的六本柱。

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茅葺き屋根が再現された竪穴式住居。

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↓こっちも茅葺き屋根掘立柱建物。

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↓一番大きい竪穴住居の内部。

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↓盛土の様子。ほんの一部でこれですから。

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↓六本柱の間から、遠くに望むのは八甲田山

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下手な写真で(しかもかなり古くて)恐縮です。

別にこの日のために撮っておいた訳じゃないんですが、今日はイラスト無し、全部写真です。

青森市石江地区から三内地区については、縄文時代以外にも歴史的に興味が湧く話があります。青森市の歴史については、いずれこのブログで書いてみたいと思っています。

結構怖い話もあるのですが、終戦の日に因んでお話しするのもいいかもしれません。

 

地元出身者として少し気になること。

世界遺産登録後に起きている問題。

富士山が世界遺産登録となってから、沢山の人が訪れるようになり、ゴミの投棄が増えてしまった問題があります。 最近では富士山の環境保護のために、世界遺産の登録抹消をした方がいいんじゃないかとの話まで出ているとか。

この話は僕もどこかで目に入って覚えていました。人の往来が多くなると大体起きる問題のひとつですね。

 

さて、それじゃあ三内丸山遺跡とその周辺はどうなるのでしょうか?

 

はっきり言ってしまうと、縄文コンテンツ自体がニッチだし、日本の象徴的な山である富士山ほどの人気スポットにはならないかもしれません。しかし、何もなかった頃よりは賑やかになる可能性は十分あります。

そうなると、東北の素朴な田舎町が急な人の増加を許容出来るのかといえば少々不安です。

 

地元の人々との温度差。

とくに新青森駅がある石江地区は住宅地そのもので、住人は高齢者が多く、都会のように若い人が沢山いるわけでも、お店が並んで活気があるわけでもありません。

そもそも新幹線のために大規模な開発が行われたのは、ここ10年くらいの話です。それまではずっと小さい無人駅でした。田舎は時間の流れが遅いので、10年なんてそんなに古い話ではありませんし、昔から住んでいるお年寄りでは尚更です。

初めて来た人は「なにこれ…?」と思うかもしれない、悪く言えば何もない「さびれた田舎」です。

 

それに市内の人が石江から三内に向かう用事があるとすれば、三内の霊園にお墓参りに行くことくらいでしょう。また石江地区にはハンセン病患者の国立療養所があります。もっと言うと、昔、精神病院がありました。これはもう知らない人が増えてきたか、忘れられたかもしれません。

 

これらの事から、普段は静かな所だということを想像してもらえればと思います。

 

実は昨晩、実家に電話して、うちの親に地元の様子を聞きました。

もう既に遺跡目当てで人が来ているらしいのですが、世界遺産うんぬんで盛り上がっているのは、必ずしもその地に住む人ではなく、お役所や仕事でそこに関わる人達、それとマスコミ関係者です。 

三内の遺跡館や美術館は、土地の人からしてみれば割と新しく建てられた施設です。そんなに馴染みがあるわけではありません。

この辺の温度差に少々不安を感じています。

 

遺産の保護と観光化、地域社会はどうなっていくのか。 

世界遺産登録を町おこしと考えるのは分かりますが、違う側面からも見ておく必要があります。人の増加に対する対処は現状でどの程度考えているのでしょうか。

周辺の開発はいいのですが、影響を受ける地区に住む人々に、今後の動きをある程度説明する必要もあると思います。

 

上記の富士山の話ではありませんが、土地の人の気持ちを汲み取れないような事が起きたらどうなるのでしょうか。

文化庁の資料「世界文化遺産の概要」にはこう書いてあります。

「各遺産の保護は当事国の主権の下に、国際的に地域社会全体が負う」

「国際的に」とあるのでちょっとぼやけますが、要するに「自分でなんとかして下さい」って事だと思うのですが…。

 

国際機関のルールを踏まえてお役所が介入し、周辺の土地を自由にいじれなくなります。観光化のために県外の業者や、その地に関わりのない外部の人がどんどん入って来ることも予想されます。

こうなってくると、もはや何か地外法権的な場所のように感じます。

確かにメディアに取り上げられて注目を集めますが、正直なところ、調べれば調べるほど「国際的な協力」とは何なのか分からなくなりました。

 

三内丸山遺跡はずっと放置されてましたから、遺跡の保護に繋がる事自体は大変いい事だと思います。しかし、地元に馴染みのない人たちの介入で、地域社会の状況が悪い方向に変わってしまわないことを願います。 

 

なんだか登録決定に水を差すような話になりましたが、誰も言わなそうな事なので、地元出身者として書きました。

一応誤解のないように、僕の世界遺産登録に対する見方と立場を、過去のツイッターから引用しておきます。

 

ということで。