どうも国府田です

イラストと漫画の制作、郷土の歴史と文化、そして日常。

どうも国府田です

【青森津軽の伝承】かつて津軽地方一帯を治めた蝦夷の女首領をイラスト化。

さて、今日は超絶マイナーなネタを持ってきました。

おそらく、青森県内の人でも知ってる人はほとんどいないだろうと思われる、「蝦夷の女首領が存在した」というお話です。

 

それじゃ、行ってみますか。

kazuyacoda_blog

 

 

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はい。いつもと全然違うタッチのイラストですが、拾い画ではありません。

僕は元々こういう絵を描く人だったので、自分の中では「古い絵柄」です。

ずっと前にツイッターにアップしたラフ画に少し手を加えたものですが、他にも何枚かあります。「見たことがある」って人もいると思います。

 

人物のデザインは完全に僕の妄想で、資料らしいものは一切ありません。というか、どういう人だったのか、ほんの少ししかお話が残っていないんです。

伝承によると、目と目の間が6寸(約18cm)もある大きな顔で、身長は1丈 (約3m)もあったとか。なんだか大分話が盛られていそうですね。

名は目六面長(メルクオモナガ)だとのことですが、これは名前というよりも、あだ名を付けられたのが実際のところじゃないかと勝手に思っています。面長って、顔の特徴でしょ?

どうせ描くならもう少し格好良くしたいし、上の絵のような感じにしました。

まぁ、背が高いと言うのは絵になるかな。

 

 

青森の地元にはこの蝦夷の遺構が残っています。

旧相馬村、現在の弘前市に存在する、「持寄城跡(もちよせじょう)、メノコ館 (女之子館)」と呼ばれる砦跡です。

メノコとは若い女のことで、どうやら有力なシャーマンだったらしく、現在の津軽地方にあたる広い地域を統治していた人物だったようです。

言うまでもなく、青森は蝦夷縄文文化を受け継いだ人々)が沢山いた土地なので、その影響力は相当なものだったと想像します。

 

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しかしこの地にまつわる話がちょっと複雑なのです。

 

持寄城跡とは、鎌倉幕府の残党が落ち延びてきて、この地に立て篭もり、追っ手に抵抗した時の城跡(砦と言った方が正確かも)のことです。元からあった蝦夷の居住地跡を利用して砦を築いたようです。

 

そこにいた蝦夷達はどうなったのかというと、大和朝廷の征夷政策で攻め滅ぼされました。

 

坂上田村麻呂率いる朝廷軍が、あのアテルイを降伏させたのち、各地の蝦夷を攻め続けました。そして軍勢は津軽地方に入り、女首領「目六面長」の住む土地まで攻め入りました。

メノコの館を包囲しますが、目六面長は神通力を使って雷鳴や強風をおこし、棺森(がんもり)の山へ逃げました。

結局この時、まだ若かった目六面長は、捕まって命を奪われたそうです。

遺体は一度その場に埋められましたが、夜な夜な女の叫び声が響き渡り、墓が動くなど、祟りと思われる現象がおきました。そこで田村麻呂は、遺体を移すことにして、権現様と合祀することで静まったそうです。

その場所が、現在の弘前市湯口にある「石戸神社」と言われています。

 

ひとつ言うと、坂上田村麻呂自身は津軽の地まで入ってきていないとの説があり、どこかで話が違ってしまった可能性があります。厳密に言うと、田村麻呂の配下の者が手を下したのではないでしょうか。

 

 

余談ですが、青森ねぶたの「田村麿賞」が「ねぶた大賞」に変わったことがありました。廃止の理由として、田村麻呂は青森から見ると反目にあたるからだと言われます。これに加え、上記の説(田村麻呂は津軽まで来ていない)も理由の一つじゃないかと思います。

 

 

いずれにしても、アテルイの武勇は有名ですが、この女首領について全国的にはまず誰も知らないと思います。強いて言えば地元の人か、蝦夷の研究をなさっている方が知っているくらいでしょうか。

現状では、まるで目六面長が妖術使いの魔女のような印象を受けますが、そういう話は立場が違えば見方も変わります。祟りの話も含め、無駄に貶められているように思えてなりません。

若い女相手に軍勢を送り込み、執拗に追いかけ討ち取るとは、よほどこの女首領は影響力のある存在だったのか…、状況的にそんなお話が見えてきます。

 

そもそも、列島統一のストーリーとして、こういう話を通史から外さないで欲しいと言うのが僕の想いです。

 

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なんだか重い話になりましたが、絵的にはまだデザインが定まっていません。

気づいた人がいるかどうか、並べた絵は細かいところがバラバラです。肩を出そうか、エリのふさをVネックにしようか、細部を詰めていないのが現状です。

 

内容的にも、作品化するにはもっと勉強が必要で、なんなら現地に取材に行かなければ無理だと思います。

いつか出来る時が来るのか…、なんとも言えません。

それに、民族的な方面から少々センシティブな話を含むので、軽々には手をつけられないと言うこともあります。

 

またこうした話が、現代の世界で、無駄な軋轢を生む材料に使われないことを強く強く願っています。

 

 

少し長くなりましたが、この辺にしておきましょうか。

ということで。

 

 

参考:Web東奥「あおもり110山」青森の山々「棺森」、なみおか今・昔「なみおか町史コラム(19)」〜坂上田村麻呂について〜