どうも国府田です

イラストと漫画の制作、郷土の歴史と文化、そして日常。

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鍋の季節、秋の縄文鍋を考えてみた。

kazuyacoda

 

すっかり秋も深まり、あったかい鍋がおいしい季節になりました。秋の食材と言えばやっぱりキノコなどの山菜、それから定番のサンマ、そして忘れちゃいけないのは「秋鮭」。

ちなみに関東圏の訛り?では「シャケ」って言いますよね。青森では「サゲ」と言います。ここでは「鮭」で統一するので、読み方は各々脳内変換して下さい。

今回はその鮭を使った「秋鮭の縄文鍋」をイメージ調理(笑)してみたいと思います。

 

 

色んな遺跡で見つかった鮭の骨。

さて、貝塚などの縄文遺跡から鮭の骨が出土しているので、縄文時代の人々も鮭を食べていたと考えられています。北海道の紅葉山遺跡では、川に杭を打ち込んだ梁の跡が見つかっており、川をのぼる鮭をまとめて獲っていたと思われます。

また長野県の千曲川沿いにある屋代遺跡から、鮭の骨が大量に出土しています。さらに青森県三内丸山遺跡からも、わずかながら鮭の骨が発見されました。

 

食生活を変えた土器という発明。

基本的に縄文人の食事は煮て食べる事が多かったと考えられていますが、それもこれも土器ありきの調理方法です。それまでは焼いて食べるか、生で食べるかのどっちかだったと思われます。

土器を使って煮る事でスープ状にして食べる事ができます。具材が柔らかくなり、様々な食材の混じり合った味が楽しめるようになりました。この発明は人間の食生活を大きく変えたと言っても過言ではありません。

 

鮭の鍋料理を作ろう。

まずは火を起こす。

先史時代の話なので、調理の際、まずなによりも火を起こす所から始めなければなりません。薪を組んで火を起こし、水を張った土器(土鍋)を置きます。水の状態から出汁昆布(干した昆布)を入れておき、沸騰するまでの間に食材の下処理をします。

 

魚をさばく。

川で獲って来た鮭をきれいに水洗いして、ウロコをそぎ落とします。現代では包丁やウロコ取りを使いますが、縄文時代の調理道具といえば黒曜石です。僕自身、黒曜石の実物を見たことは何度もありますが、ザラつきが無くたしかに鋭利な刃物になり得る質感です。

その黒曜石ナイフを使って、鮭のお腹からワタを取り出し、程よい大きさにぶつ切りにします。頭と骨は出汁を取る意味でそのまま豪快に入れちゃいましょう。まさか縄文人が魚の三枚おろしなんてやってたとは思えませんからね。

 

山で採れた豊富な具材。

それから、山で採って来たクリ、キノコ、タケノコ、サトイモ、マメを使います。問題はクリとタケノコのアク抜きですが、現代よりお湯を沸かす手間がかかる分、アク抜きのためだけに一度煮るというプロセスを経たかどうかです。普通に考えて、採って来た山菜をまとめて下処理しておいてから料理に使ったのではないかと思います。

 

里芋などの皮が柔らかいものは剥かずに一口大にカットします。農薬なんて影も形もない時代ですから安心して皮ごと食べられます。

沸騰した鍋に具材を入れていきますが、まずは出汁が出る鮭から入れます。次に火が通りにくいクリとタケノコ、あとは様子を見て全部投入。ここでもかなりアクが出ると思うので、サジですくって捨てます。

 

塩のみのシンプルな味付け。

味付けは天然の塩です。醤油もみりんもあるわけがないので、味気ないくらいのシンプルなものになります。でも現代の精製された塩とは全然違い、海の栄養ほぼそのままなので、かなりコクがあると思います。

それに鮭と昆布の出汁がしっかり出ていれば問題ないでしょう。鮭の脂も旨味を増しますし、サトイモが入っている分少しとろみが出るかもしれません。

 

完成してみれば、これはつまり「鮭のあら汁」みたいなものですね。

鮭の鍋料理といえば石狩鍋が思い浮かびますが、青森では昔からタラのあら汁「じゃっぱ汁」が郷土料理として親しまれています。

 

 

参考:縄文ファン・連載企画