青森の縄文人による津軽弁講座<その2>
そのままでは読みにくいどころか、意味不明になりかねない、津軽の方言についての解説その2です。
今回は、まずキャラクターの会話から見ていきましょう。
津軽弁のお題。
さて、オズがしゃべっている「わぁ」と、ナルミナがしゃべっている「な」って、なんでしょうか。
オズが「わぁ」と間延びした言い方をするのは、この子の口癖なので、本当は「わ」です。
答え。
右:オズ「ぼくの話、どのくらい通じるかな。」
左:ナルミナ「あんたの話はいつも食い物の事ばっかりだけどね。」
津軽の方言と古代のヤマトコトバ。
自分と相手の呼び方。
青森では、自分のことを「わ」、相手のことを「な」と言います。
実はこれ、古いヤマトコトバに語源があります。
「わ=我(われ)」「な=汝(なれ)」
そのまま万葉集の和歌に出てくる呼び方なんです。
複数形だと「わんど」「なんど」といいます。
さらに別の言い方。
また、「おめ(お前)」「おら(オレ)」なんて言ったりもします。
この呼び方をリアルで聞くと、ちょっと荒っぽくて無礼に聞こえますが、田舎の人からするとそれがデフォです。
青森のお年寄りが「おめさま」って言ったりしますが、これで割と気遣いしてる言い方です。
ちなみに、島根県と沖縄県でも自分のことを「わ」「わー」「わん」とか言うそうですが、古代になんらかの繋がりがあったのでしょうか。
青森に古語が残っている訳。
そもそも、なんで青森にそんな古語が残っているのか不思議ですよね。
一般的に、文化は同心円状に広がって行くと言われています。
古代から日本の中心地は近畿地方だったので、中央から広がった文化が、本州最北端の青森県に残ったと考えられます。
古語についてもう一つの例。
古いヤマトコトバが残っている話で、もうひとつ例を挙げると、「もがり」ってご存知ですか?
うちのじいちゃんが亡くなった時、父が家の外塀に細い角材を打ち付けていました。
見てみるとバツ字型に木を組んで、何かの目印のような状態にしていました。
父の話によれば、これは誰かが亡くなった時ご近所に知らせる意味があるらしく、その“印”を「もがり」と呼んでいました。
当時僕はまだ中学生でしたが、大人になってから記紀を読んだことが切っ掛けで調べました。
すると「もがり(殯)」とは、古代の皇族、豪族の葬儀のことらしいのです。
そんな言葉まで青森に残っているとは、さすがに驚きでした。
ただこの話は、縄文文化が最も栄えた時代より、ずっと後の文化・文明が由来です。
日本が統一されていった時の名残だと思います。
縄文時代の言葉について考える。
縄文時代は文字による記録がいないため、当時の人がどんな言葉を話していたのか、正確なことは誰にも分かりません。
人と文化の流れから、大昔の国や地域でどんな言葉が話されていたのか、予測は立てられていますが断定はできません。
圧倒的コミュニケーション量の現代でも、言葉がすべて同化してしまうことなく、地域ごとに違う方言がごく普通に使われています。
とすれば、今より他の地域との交流が少なかった縄文時代は、話されている言葉もその土地のクセが強かったんじゃないでしょうか。
そういう意味を込めて、『縄文の食卓』では、キャラクターに津軽の方言を話させています。
まぁ、漫画のネタということで、ご愛嬌。
今回ちょっとだけ難しめの話になりましたが、ひとまずこのへんで。
また次回。
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